できるだけ広い範囲で男ウケする服選ぼうかなーと思ったときに、どうしてもコンサバ清楚系(俗に言う女子アナファッション)になっちゃうのって
つまんないというか、あまりに可動域が狭い気もするよね。王道ではあるんだけど。
でもさ、「清楚なグラドル」みたいに、露出してても清楚なファッションってのもある。
めちゃくちゃ小さい三角ビキニ来て、カメラの前で悠々とポーズとってても、色白で黒髪で真っ白な水着なら清楚系グラドルなんだもん。
なのに「派手で露出してる服」は男ウケしない。
今までこの差をうまく言語化されているところが少ないなーとは思ってたんだけど、大事なのは見た目よりも男性側の想像力のはなしなわけです。
逆説的に言えば、清楚で露出できる服の「男ウケするエッセンス」だけ取り出して、個人の好みに合った服を着ることは可能なんじゃないかなー。
つまり、ナチュラルだったり流行りの服好きな人が、清楚な服の男ウケポイントを取り出して馴染ませることができるってことです。
それって
- 気の強さが云々
- 言うこと聞きそうな女が云々
- 保守的な云々
とはあんまり関係なくて、どっちかっていうとフェチズムに近いものなんだよ。
清楚な露出と派手な露出の違いは?スカートとキュロットの差から考える
「清楚な露出」と「派手な露出」について、こういう構造だよーっていうのをわかりやすくするために
ミニスカートとキュロットの話を出すね。
この話のキモは、パッと見はどっちもスカートなんだけど、分類上はスカートとパンツに分けられてるってとこ。
こういう本があって
早稲田の教授が書く「男の生きづらさの根本は、自分の感情や欲望、弱さにあまりにも鈍感だからじゃないですか?」っていう本。
こういうジャンルの本、苦手な人は多いかもしれないけど
「男ってカワイソウな生き物なんだゾ!」「だから許してネ」みたいな甘えや、自己正当化からは対極にいる本だから女の人でも引っかかりなく読めるよ。
そういう考えに基づいて、ロリコンや痴漢についての話も出るんだけど
学者が書いてるだけあって、痴漢への欲望の捉え方が真面目。
「そんな真顔でロリや痴漢についての思考を語られても困るよね…」とすら思えてくるような。
で、この人が「男の痴漢への欲望・フェチズム」を分析したときに
電車でミニスカートの女性が座っていて、立ったらキュロットだった。
そのとき天国から地獄に突き落とされるような気持ちを味わうって描写があるのね。
女としてはさ、何が違うの?ってかんじじゃない。
ミニスカとキュロットの共通点として
- 足が大きく露出されている
- パッと見のシルエットに差はない
わけだから、なぜそこに天国と地獄を見出すのかがあんまり理解できない。
興味がある人は本読むとさらにわかりやすいんだけど、そこは男性側の想像力というか、フェチズム的に絶大な差があるらしい。
森岡さん自身も、多くの女性が「どうして男はキュロットじゃなくてミニスカがいいのか」を理解してないことに度々ビックリするんだって。
というのも、女性は「ミニスカから伸びる美脚」とか「単に露出の面積が〜」みたいな話になっていって
痩せて美脚作り!とか、露出を多めにしてみる!みたいな方向に寄っちゃうのね。
これってすごく女性的な考え方なんだけど、(あくまでミニスカフェチの人に対しては)無意味で、あんまり効果ないんだよね。
だって
- 「ひょっとしたら見えるんじゃないか、万が一のラッキーがおきて」っていう想像
- 動いてる内にずりあがってくるミニスカートを下に引っ張ってなおす仕草
に、ダイナミズムやリアリティを感じるからミニスカがいいらしいのね。
美脚は美脚でいいものなんだろうけども、ミニスカへのフェチ自体を刺激しようと思ったら、それは相関しないんだよ。
たとえばスポーツウェアでミニスカ以上に露出度が高い、丈の短いものがあるけど(テニススコートとか)
あれはフェチズムでいうと全然違うらしい。
「adidas」「NIKE」なんてロゴが入ってると、それはつまりブランド側が「外にみせるものでーす」ってハッキリ言っちゃってるのと同じことだから
チラリズムを感じる余裕がないんだろうね。
これは、派手派手なギャル下着はあんまり男受けしない理由と同じだと思うなー。
別に品がないとか軽そうだとかそういうんじゃなくて「あなたに見せるためのザ・ナイトコスチュームでーす!」みたいな風格が漂うぶん
下着に対するフェチを刺激しないんじゃないかな。
ほら、アメリカの夫婦は「今夜はどんなシチュエーションで◯◯する?」みたいな話を普通にするらしいけど
隠されたものっていうフェチが少ないぶん、向こうの下着のほうが派手だし。
逆に、下着に対するフェチが全くない人は、つけてさえいれば(それなりに綺麗であれば)いいとかって
ラフな方向に進むのかなー。
別になんでも、みたいな。
ただ、著者も自分で認めてることだけど、ミニスカートを生身の女が日常で履いてるっていう、シチュエーションみたいなものがあれば
あなたの人格やスカートに対する考え、思考は要りませんって言ってるのと同じことなのね。
そういう、下心+あなたは不要説 が混ざった視線を投げかけられるのは複雑な不快さがあるところだよね。
長々と天国のミニスカ、地獄のキュロットについて解説してしまったんだけど
この理論をなんとなくわかったうえで「清楚と派手」について拡大解釈していきまーす。
「清楚な露出」は「本来は見えないもの」みたいな聖性を感じさせる効果があるよ
上で挙げたミニスカートとキュロットの例にならって「清楚な露出」と「派手な露出」の話に戻していくんだけど
構造は同じというか、こんな感じ。
- 清楚な露出は、ミニスカートと同じような「本来は見えないもの」による聖性
- 男性側の想像で、リアリティやチラリズムを感じる余裕」がうまれる
- 派手な露出は、キュロットと同じで「絶対に見える余地のないもの」のような、完結を感じさせる。想像の余地をうまない
つまり、清楚でコンサバな印象ってだけで、女性が自分で選んだミニスカートだとしても本来は見えないうえに非日常的な聖性を想像しやすいんじゃないかなー。
なんか、女性側の意図とは逆なんだよね。
ほら、一生懸命キメたファッションってさ、モードであれスタイリッシュであれ、着てる女性にとっては「ちょっとした非日常」感あるよね。
会社に着ていくような服でもなければ、気を抜いた普段着でもないわけだから。
でも、男性の想像を掻き立てるって意味では、デートに行けるくらいの軽いコンサバファッションに付随する露出が「非日常のあるもの」なのね。
たしかに、派手な服と露出が組み合わさっても、それは当然のことというか、いい意味で違和感がないよね。
そういうコンセプトのブランドで、そういうのが好きで着てるのが側から見ても分かりやすいからかなー。
単純に露出によるエロさはあるけど、そこに「清らかなもの」ってイメージがついてこないぶん、万人ウケはしないわけです。
ってことは「そういう服だから!」「私が好きで着てんだからいいの!」っていう
一種の自己完結を取り除いた露出であれば、割となんでもいいと思う。
むしろ、明らかな女子アナファッションなのに際どいラインカットよりも
ナチュラルで日常に溶け込むし、作為を感じなくていいよ。
体のラインが出やすいリブニットにロングスカートとかも、個人的にはそういうイメージ。
そこにミニスカート合わせちゃうと、それなりに自己完結して見えると思う。
前にパリジェンヌの服ってモテるよねって記事を書いたんだけど、YouTubeの「パリちゃんねる」
フランス人に、日本の飲み物や食べ物をテイスティングしてもらったらどういう反応するかな?ってチャンネルがあってね。
そこに載ってる現地のパリジェンヌの服で、テクニックとして「日常に溶け込む作為のない露出」ができるものがあった。
パリジェンヌのファッション④番外編 スナップ以外で普段着のパリジェンヌコーディネートを見ながら解説 YouTubeのパリちゃんねるがファッションの勉強にも使えるよ
この記事、上から2つ目の、チューハイ飲んでる女性。
フランス人だから襟ぐりが深いキャミソールだけど、日本だったら普通に売ってるスタンダードなVネックで充分。
これだけだとフェチズムや「非日常感のある清らかな露出」にはちょっと足りないんだけど
Vネックのカットラインに合わせた4連ネックレスで、うまいこと谷間に視線がいきやすくなってる。
パリジェンヌの彼女がそうしようと思ってやってるかは関係なくね。
こういう「個人の好きなテイスト+ハレの日じゃない普通の服」に、ネックレスでテクニックを足すと
ちょうどよくナチュラルに馴染む、男ウケする露出になると思うなー。
清楚な露出のエッセンスというか、メリットだけうまいこと取り出せたら
好きな服着てても男ウケするよ。
というか「こういう服が好き〜!」っていう自己主張が全くないのは、付き合ったら相性のいい人からのモテを遠ざけると思うのね。
極度に固定された女子アナファッション=外見からわかる性格やメッセージ性を押しとどめるってことでもある。
そういう服が好きなら問題ないんだけどね。
日常に溶け込む露出や男ウケと、好きなテイストを合わせたスタイルが1番メリットが多いんじゃないかな。
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